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只管打坐で、見えてくるものがある。思いやりの心をもって今を過ごそう

オンライン授業、リモート会議、オンライン飲み会まで、必然的に人との距離を取らざるを得ない生活が続いていきます。家族と離れ、一人暮らしをしている方の中には、特に孤独感を感じる方もいらっしゃることでしょう。

東日本大震災の時、見直された「絆」という言葉の重みが、今一度感じられます。現在、今までのように談笑しながら飲食するということが激減してしまい、ストレスの多い日々が続いております。

楽しいはずの食事の時間が、会話のない味気ないひとときとなっています。こんなご時世だからこそ知っていただきたいのが、永平寺など禅寺の沈黙の食事です。

永平寺の食事は、定められた時間に毎日作法通り行われていますが、八百年も前に道元禅師が示された通りに今も行っているのです。

道元禅師は、二十四歳で南宋(中国)に渡りました。修行僧たちとともに坐禅堂で作法通りに食事をいただく生活を通して、食事が単に体を養うだけではなく、心を育み、人格を高めていく大切な修行の場であることを知ります。

また、修行僧たちのために身を粉にして食事づくりにつとめる典座(てんぞ)という役目の和尚の姿に、炊事などの作務(労働)にも、かけがえのない意味があることに気づきます。

永平寺をはじめとする禅寺の修行道場では、毎朝(夏は三時ごろ、冬は四時ごろ)、起床の鈴である振鈴とともに起床します。そして、坐禅や朝のお勤めの後、坐禅堂の中で、お袈裟を付け、お粥をいただきます。

食べる前には、一同が食器を開き、「五観の偈」などを唱えるなど、道元禅師の頃から、今も変わらぬ作法でいただきます。この五観の偈というのは、五つの言葉でできています。

今いただく食事が大勢の人々の力によって作られてきたことを改めて思い起こします、という言葉からはじまります。

いただく食物に対して感謝の念を持ちつつ、大勢の人の労力がかけられたこの食事を、自分自身がこの食事を受けるにふさわしい行いをしているのかを顧みつつ、仏道を成就するため、今正にこの食事をいただきましょう、という心構えが、ここに示されています。

こうした五観の偈などを唱えてから、お粥をいただくのです。

すると、坐禅堂内は沈黙の世界となり、タクアンなどをポリポリ噛んだり、少しでもお椀を不用意に扱うと、その音が堂内に響き渡ります。

現在、新型コロナウイルス感染症の為、楽しく語らいながら食事をとることができない状況が続いています。

こうした時期だからこそ、自己を見つめ直し、感謝の念をもって静かに食事に向き合う「五観の偈」の心を顧みることも必要ではないでしょうか?

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