潮音寺
これまで四百年以上に渡って先代たちが築き上げてきた
地域社会との絆を現代に引き継ぎつつ
「現代社会における新しいお寺のあり方」を提示していきます。
潮音寺の歴史
潮音寺は約470年もの間、多くの檀信徒によって護持され、昭和40年代以降、山門、位牌堂、本堂、庫裏が次々と落成、平成に入って毘沙門堂、客殿清風閣が落成して伽藍整備がなされました。
現在は毎月坐禅会、仏教講座も定期的に行われています。
潮音寺の歴史
潮音寺は天文23年(1554年)に大休宗恵和尚によって開かれました。
山号は大徳山で、本尊は聖観世音菩薩です。
潮音寺のご宗旨は曹洞宗です。14世紀末、了庵慧明和尚が道了尊で有名な大雄山最乗寺(南足柄市)を開かれました。
そしてその門流の安叟宗楞和尚は総世寺(小田原市久野)を開き、小田原地域に曹洞禅が広められました。
この総世寺の第8世の大休和尚であり、久野・坂下・穴部・井細田・多古などの地域の人々のための菩提所として潮音寺をこの地に建立されました。
小田原七福神
毘沙門天の功徳
毘沙門天王の10種類の福得
1.尽きることの無い福
2.皆に愛される福
3.正しい判断力である智慧の福
4.長生きする福
5.家族や親族、部下などの信頼に恵まれる福
6.勝負に勝つ福
7.田畑が豊作である福
8.家業が成功する福
9.善い教えに出会う福
10,悟りを得られる福
毎月始めの3日間、身を清めて新しい服を着、北東の方に向かって毘沙門天王の真言「オンベイシラマンダヤソワカ」を唱えれば大きな福徳を得るとされています。
潮音寺の毘沙門天
潮音寺の毘沙門天潮音寺の毘沙門天のご尊像は室町時代中期の成立とされ、天文23年(1554年)開創の潮音寺の歴史よりも古いご尊体で、明治から戦前までは久野坂下の地域の人々によって護持されていました。
特に昭和39年12月、植松房江先生が来山され、この毘沙門天の霊験を感得されたことを機縁に、老朽化していた毘沙門堂を再建され、平成2年に現在の毘沙門堂が落成しました。
現在小田原七福神の一尊として、県外からも多くお詣りに来られるようになりました。
「小田原七福神」
小田原城を中心に周囲をグルリと七人の福の神が取り囲んでいます。
北方を司る守護神として毘沙門天の潮音寺、南は相模灘に面し、海と船の神である恵比寿の報身寺、福徳財宝をもたらす布袋尊の圓福寺と福禄寿の大蓮寺があり、東には江ノ島明神を分霊した満願弁財天の福泉寺、西には延命長寿を与える寿老人の鳳巣院と出世財宝厨房守護の食物の神である大黒天の蓮船寺があります。
さらに小田原七福神には二宮尊徳を祀る二宮神社も加わっており、小田原ならではの七福神の巡りとなっています。
幸せと開運を祈願して巡ってみるのはいかがでしょうか。